私たちが依拠していること。
私たちの仕事は、各社の「採用」「教育」「処遇」の質的向上をサポートすることです。
私たちが質的向上をサポートする際に依拠している考え方は、ジム・コリンズ氏の著作『ビジョナリーカンパニー』で示された「基本理念を維持しながら、進歩を促す」というものです。この理念は、企業が持つ不変の価値観を守りつつ、時代や環境の変化に柔軟に対応していくことの重要性を説いています。
具体的には、各社の「基本理念」を維持しながら、「採用」「教育」「処遇」を再構築するプロセスを支援します。この際、私たちはナラティブ・アプローチを用いて、これまでの歴史と将来に引き継ぐべき理念を「物語」ストーリーとして綴ります。ナラティブ・アプローチを用いたストーリーの活用は、企業の歴史と価値観を改めて再確認し、残すべき価値観と変えるべき諸制度を明らかにします。
ナラティブ・アプローチを採用する理由は、各社固有の価値観や「大切にしたい想い」を次の世代に受け継ぐため、これらを時代の変化に合わせて捉え直し、学び直す必要があると考えるからです。
たとえば、現在のビジネス環境では、従来の価値観や慣行がそのままでは通用しない場合があります。そのため、過去の成功体験を基にしつつも、現在の状況に即した新たなアプローチを模索する必要があります。ナラティブ・アプローチは、企業の歴史や理念をエピソードとして物語化・ストーリー化することで、大切な思い・基本理念を守りつつ変革に向けた再解釈を促進します。
また、ナラティブ・アプローチを通じて、私たちは「この企業で働く意味」を社員や求職者に示せるように支援します。
企業の「基本理念」は、社内に飾っておく標語やスローガンではなく、具体的なエピソードや言葉を通じて実感されるべきものです。そのため、私たちは各社の歴史や独自のストーリーを深掘りし、それを物語化することで、社員一人ひとりが地域社会と会社における自身の役割をより深く理解し、誇りを持って働ける環境整備をサポートします。
『ビジョナリーカンパニー』における「基本理念」は、大きく2つの要素、「基本的価値観」と「目的」から構成されています。
まず、「基本的価値観」は「組織にとって不可欠で不変の主義」を指します。これらの価値観は、時間や外部環境の変化に関わらず、企業が堅持するべき信念と定義されます。企業独自の哲学や信条、創業の理念などがあたります。
一方、「目的」とは、「単なるカネ儲けを超えた会社の根本的な存在理由」を意味します。これには、社会への貢献や従業員の成長支援といった、企業がその存在を正当化するための高次の目標が含まれます。たとえば、ある企業が「持続可能な未来を創造する」ことを目的として掲げている場合、それは単なる利益追求を超えた使命感に根ざしています。
『ビジョナリーカンパニー』では、「基本理念を維持しながら、進歩を促す」ことが重要であると強調されています。この進歩を促すためには、「基本理念」以外の戦略、制度、商品、サービスなどが絶えず変化し、適応していく必要があります。
私たちの「基本理念」
私たちは活動を始めたばかりです。そのため「基本理念」と言える考え方は、確固たるものとして定まっているとは言えません。『ビジョナリーカンパニー』では、「基本理念」だけは変えてはいけない、と何度も言及されています。そして、私たちは常に捉え直し、学び直し、それを今に活かしていくという姿勢の重要性も理解しています。私たちの基本理念を私たちが目指す方向性を明確にする上でもここに記しておきたいと思います。
私たちの基本理念は「より多くの人に働く意味を見出してもらう」です。
仕事とは単なる生計を立てる手段ではなく、人々が自身の存在価値を確認し、社会と繋がる重要な活動だと考えられます。しかし現実には、多くの人が働く中で孤立感や不満を抱えることがあります。この状況を少しでも変え、人々が働くことに意味を見出せるようなサポートを提供することが、私たちの使命と考えています。
私たちが理想とするのは、各社の従業員が日々の生活の中で、心から「この会社で働く意味はここにある」と実感できる職場です。これは個人にとっての幸福感を高めるだけでなく、企業にとっても持続可能な発展の基盤となりうるものです。
『それにも拘わらず』私たちが成し遂げたいこと。
資本主義社会において、会社に雇用され、その上で「働く意味」を感じられている人はどれほどいるのでしょうか。この問いは、現代社会の根本的な課題の一つといえるでしょう。知の巨人たちが明らかにしてきた資本主義社会における「疎外」の問題に目を向けることで、働くことの意味を再考する糸口が得られるかもしれません。
18世紀後半、イギリスの産業革命をきっかけに広まった資本主義的経営は、その発展の端緒から、賃金労働者が直面する「疎外」の問題を内包していました。カール・マルクスはこの問題を特に重視し、労働者が生産物や労働そのものから疎外される過程を分析しました。マルクスの理論によれば、労働者は自分の労働によって作り出した製品に対して所有権を持たず、その結果、自らの存在意義や労働の価値を見失うという現象が起こるのです。
この「疎外」の問題は、単に労働者個人の不満やストレスにとどまらず、社会全体の効率性や調和にも影響を及ぼします。働くことが、生活の糧であり自己の存在を明らかにする一つの活動となりうるはずが、人々を機械的な存在へと追いやることになりました。
また、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、1904年の著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、資本主義社会が人々にどのような影響を与えるかを指摘しました。彼の言葉で特に注目されるのは次の一節です。
「今日の資本主義的経済組織は既成の巨大な秩序界であって、個々人は生まれながらしてその中に入りこむのだし、個々人にとっては事実上、その中で生きねばならぬ変革しがたい鉄の檻として与えられているものだ。誰であれ市場と関連をもつかぎり、この秩序界は彼の経済行為に対して一定の規範を押しつける。」
ヴェーバーが言及した「鉄の檻」は、資本主義の枠組みが個人に与える制約を象徴しています。私たちはこの「檻」の中で生活し、働き、消費することを余儀なくされます。そしてこの檻は、労働や生活における自由を奪うだけでなく、働くことに意味を見出す機会をも制限しているのです。
資本主義社会の変革しがたい「鉄の檻」の中で、『それでも』人らしく、自らの意志に近いかたちで働くことはできないだろうか。この問いは、私たちが長年追い続けてきたテーマです。資本主義的経営における労働は、その仕組み上「疎外」を内包していると多くの思想家が指摘してきました。
しかし、『それにも拘わらず』私たちは、各社で、各個人が「働く意味」を感じられるような環境をつくることが、人生の中で膨大な時間を占める「働く時間」を幸せなものにする鍵であると信じています。そのため、企業の基本理念に根ざした『物語』ストーリーを描くことを通じて、この「疎外」の中においても、働く意味を追求していきたいと考えています。
もしかすると、資本主義社会において「働くこと」に「意味」などは存在しないのかもしれません。しかし、『それでも』私たちは、個々人が生きた証として労働に特別な「意味」を与えていきたいと考えています。
私たちの「組織にとって不可欠で不変の主義」、つまり基本的価値観は、働くことを単なる経済活動としてではなく、人間としての存在を深める行為として捉えることにあります。この基本価値観を共有し、それを軸に組織を運営することが、働く意味を再定義するための重要な土台となると考えています。
『鉄の檻』のような資本主義社会の制約の中でも、それでも、私たちは「働く意味」を追求し、共有することで、労働が生きた証と生きがいの源泉となる環境を築いていけると信じています。
2024年1月時点の私たちの「基本理念」は、
「より多くの人に働く意味を見出して頂く仕事を行う」です。
【参考・引用元】
・『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』ジム・コリンズ他(1995)
・『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ヴェーバー(1989)